スクールカウンセラー
素敵なせんせいをめざすあなたに
管理人が公認心理師をめざすにあたり、対策講座でお世話になった心理系予備校プロロゴスで知り合った たつとみ先生。
スクールカウンセラーとして活躍されているたつとみ先生に、スクールカウンセラーをめざす経緯や体験を連載していただいています。
類似した事例に関わってはいますが、内容はフィクションです。
前回のお話はこちら⬇️
スクールカウンセラー にはならないの?
以前、自分が生徒指導員となったのは、自分の父の知人である市会議員さんの紹介というお話をしたと思うけれど、今回は自分がついにスクールカウンセラーになれた時のお話‥。
自分が生徒指導員をしている某市教育委員会の学校安全課で課長補佐をされているDさんは、自分が最初に生徒指導員になった時、その生徒指導員担当の指導主事をされている方だった。
自分が初任者として初めて学校現場に勤務した際の不登校から復帰したサッカー少年の彼との関わりも、自分の生徒指導員の記録から凄く注目して下さっていた。
カウンセラー的な関わりもだが、今でいうスクールソーシャルワーカー的な関わりもしていた自分に、他の生徒指導員の先生方にも同じような関わり方が出来るように研修をやって欲しいと頼まれたことさえあった。
そんなDさんから、
たつとみさんはスクールカウンセラーにはならないの?
と聞かれた。
自分の中でスクールカウンセラーは臨床心理士資格認定協会の臨床心理士資格を取れなければなれないもの‥という認識だった。
臨床心理士も当時、公認心理師でいうGルート。
いわゆる現任者救済措置的な受験制度もあったが、その5年の期間には自分の実務経験が足りず、受けることが出来なかった。
働きながら臨床心理士受験資格を得るために放送大学大学院の臨床心理学プログラムの科を受験していたが、なかなか合格することが出来ず、
科目履修生として取れる単位を取りつつ、いつか放送大学大学院に合格するために勉強しながら働く毎日だった。
そんな話をDさんにすると
県の教育委員会は費用面は異なるかもしれないけれど、
臨床心理士資格が無くてもスクールカウンセラーにはなれるよ?
と言われた。そして、ちょうど出ていた県の採用基準を見ると、確かに自分は受けることが出来るようだった。凄く心躍る気持ちを抑えて、早速県の教育委員会に電話で連絡し、担当課の人にスクールカウンセラー希望である旨を伝えた。
しかし、その返答は呆気ないものだった。
今、無資格の方の採用は見送らせて頂いてるんです‥。
.
正に天国と地獄という感覚だった。次の日、せっかく教えてくれたDさんにその旨を伝えると、意外な返答が返ってきた。
じゃあたつとみさん、県教委のスクールカウンセラー担当の主事さんは自分と同期だから、
その人に自分から聞いてみて、たつとみさんを紹介してみますよ!
`
Dさんが自分を凄く買ってくださっているのがよくわかった。程なくして、県教委のK指導主事さんから電話がきた。
Dさんから話を伺いました。
ぜひ面接させて頂きたいので、県教委まで来て頂くことは出来ますか?
というものだった。
スクールカウンセラー 面接 自分そのものを出す
面接の日。凄く緊張して、県教委のある県庁に初めて足を踏み入れたのを覚えている。
その時、初めてK指導主事ともお会いして、カウンセラーとして人と関わる際、気をつけることなどを聞かれたのが何となく記憶にあるが、正直何を聞かれたかは今は覚えていない‥。
ただ自分は自分の不登校経験から、子ども自身の精神的な居場所の無さ。そして大人が決めるのではなく、子どもに主体をおいて関わっていくことなど、今までの自分自身が経験して考えていることを包み隠さずありのままで話したことだけは覚えている。
スクールカウンセラーというものが自分自身の生きる道だと信じてそれを目指してきた自分が、
スクールカウンセラーになることだけを考えて取り繕うのではなく、
自分というものそのものを出さなければならない‥。
そうしなければならない。そう思ったからだ。
スクールカウンセラー ついに
数日後、K指導主事から直接電話がかかってきた。
スクールカウンセラーとして、この4月からぜひ勤務して欲しい
という電話だった。嬉しさを噛み殺して電話に返答し、電話を切った瞬間、街中にいるにも関わらず、人目を憚からずガッツポーズを繰り出した。
K指導主事とは、その後濃い関わりをすることとなった。
SC1年目こそは、島にある小規模中学校1校のみの勤務だったが、小学校への試験的なSCの配置が決まった年には、生徒指導員として小学校を知る自分にその小学校勤務を打診され、引き受けたことがある。
また、スクールカウンセラーよりは少し給与が安いけれど県の教育センター内にある適応指導教室の心理相談員をやってもらえないかどう言われた際にも即答で引き受けた。
その頃はその教育センターで働かれていたこともあり、K指導主事とはいろいろなお話もした。
自分が大学生時代にその基礎をゼミの教授から学び、自分のカウンセリングの中で中心的に行っていた解決志向(今でいうソリューション・フォーカス・アプローチ)が、
これから学校現場では中心になりますよ!
と、熱く語られていたのも覚えている。
(残念ながらその数年後、K指導主事は事故で亡くなられた。)
D課長補佐さんは、その後学校現場に教頭として復帰され、校長にもなられ、現在は退職されている。同じ学校現場で働くということは無かったが、間接的にD校長の学校の生徒さんと関わることが割とあり、何度かやり取りをさせて頂いた。
生徒指導員時代と変わらず、凄く自分に信頼を置いてくれているのが感じられた。
こうした人と人との繋がりというものがあって、自分は今、やりたかったスクールカウンセラーという職が出来ている。
自分自身の経験から、自分に偽りなくやってきて、そして今があるので、全く後悔とかそういうものが無いし幸せであると感じている。
たつとみ先生
採用にかかる貴重な体験談をありがとうございます。
当時は無資格で採用を見送られてしまったのに、学校側からの推薦で、夢だったスクールカウンセラーへの切符を手にする…
たつとみ先生の子どもに対する真摯な姿勢や働きかけを、そばで見ておられた方がいらしたからですね。
.
今まで連載してきてくださって、たつとみ先生の一連の思いを感じているだけに、採用のくだりではちょっと泣けそうでした。
.
.目の前に与えられたことを誠心誠意尽くすと、自分の信じる道につながっていくんだと、改めて思わさせていただきました。
ありがとうございます♡
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文中にもある
「自分のカウンセリングの中で中心的に行っていた解決志向(今でいうソリューション・フォーカス・アプローチ)」
についても、また詳しく教えていただきたいです!
たつとみ先生の希望で、連載記事の感想をいただけたらありがたいです
たつとみ先生に届きますので、温かいメッセージをお願いできれば
下の参考リンクをタップしてGoogle foamからご入力を✨ ⇩
コーヒーと文房具のイラストのヘッダーです
感想をお寄せくださるとうれしいです!
まだまだお話は続きます。
スクールカウンセラーとしての体験を紹介できて
感謝です
この次のたつとみ先生の連載記事⬇️
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