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スクールカウンセラーになるには たつとみ先生① いじめ

スクールカウンセラー

素敵なせんせいをめざすあなたに

管理人
管理人

管理人が公認心理師をめざすにあたり、対策講座でお世話になった予備校。

そちらの受講生やOBによるzoom発表では、スクールカウンセラーとして活躍しているたつとみ先生から過去にも何度かお話を聴き、感銘を受けていました。

たつとみ先生に、スクールカウンセラーをめざす経緯や体験を連載していただけることになりました。
類似した事例に関わってはいますが、内容はフィクションです

スクールカウンセラー まえがき


自分が心理学、とりわけスクールカウンセリングに関わりだしてから、もう十年が過ぎようとしている。

この道を歩みだしたのは偶然か、それとも必然かはわからないけれど、それが自分の意志であり、自ら歩みだしたということだけは確かであり、事実である。

今回、自分の経験談と、その考えをまとめる機会を得ることが出来た。

つたない文章かも知れないけれど、自分と同じ『不登校』や『いじめ』に遭遇している人たちや、その周囲で悩んでいる親や先生たちの、少しでも手助けになるために・・・・・・。

スクールカウンセラー になる前 不登校といじめの経験


『不登校』や『いじめ』の原因は色々あると思う。でも原因なんてどうでもいい。大切なのは『今、悩んでいる人がいる』という事実だけだろう。

自分自身「なぜいじめにあったのか」ということは、未だにはっきりしない。ただ集団で行動するよりも、自分の考えで行動する子どもだった。要は『目立つ子』だったのかもしれない。

そんな自分にとって、期待と不安が入り混じった小学校という空間でいじめはいきなり起こった。

それからというもの、国立の小・中学校であったから、半エレベータ式の学校での9年間、いじめ、無視、仲間はずれなど、ありとあらゆる経験をしてきた。それでも、自分の訴えがなかなか届くことはなかった。

存在場所の無さ

その9年間、まったく先生に助けを求めたり、親に話をしなかった訳ではなかった。むしろ頻繁に訴えていたと思う。

しかし、学校という集団社会の中で、常に教師の目が行き届いているということはなく、その隙間でいじめは起こっていた。

自分としては、学校で特別扱いして欲しかったのではなく、そうでなければ、自分は学校という場にいることは現実に出来ないという苦痛を味わっていた。

それは、すべての子どもをまったく同じように育てようという、教育の体質の歪みだったのかもしれない。


スクールカウンセラーになる前 学校には行けない

またそれは、家庭においても同じことだった。今もなお残り、当時としては『子どもは学校に行くこと』が当たり前のようになっていた。

自分自身としては「学校には行けない、学校には自分のいる場所はない」と思っていた。

現在でこそ、「その子の立場になれば、学校に行かない、行かなくていいのは当たり前」と考えられるであろう。しかし、当時自分の姉が「親とのコミュニケーション不足」により、不登校におちいっていた。

そして原因がわからずに困惑している両親にとって、自分も学校を休むということに対して、それを受け入れる余裕などなかったであろう。

しかも、エリートとして名を馳せていた父と、お嬢様育ちの母にとって、『学校を休む』ということが、どれほど両親の中での常識を逸脱したものであるかは、当時の自分は出来なかったが、いまさらながらに想像出来る。

両親にとって、逃げ出したくても逃げ出せない、辛い状況だったに違いなかった。それは、自分にとってもかわりはなかった。


 思い返すと、ほとんどと言ってよいほど良い思い出のない9年間であった。

苦痛に耐えつつ、行きたくもない学校へ行っていた。そして、中学校の卒業式の日、自分は泣きもしなければ感動もしなかった。そこにあるのはただ「ああ、終わった」という感覚だけだった。

https://sensei.style/Japan/wp-content/uploads/2022/10/3EEDB0A0-5C8A-4E9E-BE7F-483423451946.png管理人

たつとみ先生、つらい経験を語ってくださってありがとうございます。

受験して小中一貫の学校に通う…ご両親の誇りであり、当然9年間通うものとしてご両親も考えておられる。

今でこそ、フリースクールなど様々な選択肢がありますが逃げ場のない中で、たつとみ先生は9年間絶えて卒業まで迎えられた…。

小中あるいは中高一貫校や、単級(学年に1クラス)の場合は児童生徒の転入出もほぼなく、人間関係が固定されてしまいがちだとも聞いたことがあります。

管理人のわが子の同級生は、受験して一貫校に通っていましたが、「校風が合わなかった」と地域の公立校に転校して来ました。

エリート一家のたつとみ家では、受験した一貫校から転校して地域の公立小中学校に通うなど、選択肢にはなかったのでしょう。

今、たつとみ先生はお子さんを持つ一父親の立場から「両親にとって、逃げ出したくても逃げ出せない、辛い状況だったに違いなかった」と慮っておられること、胸を打ちます。

たつとみ先生のお話は続きます。

https://sensei.style/Japan/wp-content/uploads/2022/10/3EEDB0A0-5C8A-4E9E-BE7F-483423451946.png管理人からのお願い

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たつとみ先生
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