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スクールカウンセラー(19)母から離れない子 たつとみ先生

スクールカウンセラー

素敵なせんせいをめざすあなたに

Ⅼさんシリーズ 第1回

たつとみ先生が小1から高校生まで10年以上かかわったLさん。シリーズ第1回です。

管理人
管理人

管理人が公認心理師をめざすにあたり、対策講座でお世話になった心理系予備校プロロゴスで知り合った たつとみ先生。

スクールカウンセラーとして活躍されているたつとみ先生に、スクールカウンセラーをめざす経緯や体験を連載していただいています。

類似した事例に関わってはいますが、内容はフィクションです。

前回のお話はこちら⬇️

スクールカウンセラー(18)島の文化とSC通信 たつとみ先生
たつとみ先生
たつとみ先生

※物語はフィクションですが、読まれた方にその際の感覚や感情をなるべくリアルに感じ取って頂くために実際にあった出来事に似せて不適切な表現を使用しています。ご了承下さい。

スクールカウンセラー 小学校こそ

 スクールカウンセラーとして学校に勤務し始めて3年目を迎えようとするある年度の3月ごろ、県の教育委員会から来年度についてのお話があった際、小学校へのスクールカウンセラー勤務を打診された。

試験的に県内5校の小学校に配置するということだった。

生徒指導員として引き続き働いていたこともあり、限られた範囲でしか勤務校がなかなか増やせない状況の中、K中学校と同じK市にあるY小学校へとの話を頂いた。

これまでの経験で小学校にこそスクールカウンセラーの配置が必要だと感じていた自分は、即答で引き受けることとした。

 Y小学校は全校児童7~800人程度の中規模校。各学年3~4クラスはある学校で、K中学校しか知らない自分からすると大きな学校だった。

また、日本語がしゃべれない外国人の児童が多いことも特徴的だった。

Y小学校区はK市の中でも海辺の工業地帯が近く、外国人労働者家族の子が多く在籍していた。

今回のお話とはまた別のお話になるが、通訳を交えてお母さんと面接したということも貴重な経験だったと思う。

 その小学校は2年で異動し、自分の希望からその隣の校区であるH小学校へ2年間勤務し、そしてまたY小学校へ7年連続して勤務した。

H小学校に在籍中も、K市の教育委員会では、どこの学校にカウンセリングを受けに行っても良いということになっていたため、小学校入学から卒業まで(実はその後も・・・)関わることとなる事例も存在する。そんなお話を今回はしてみたいと思う…。

スクールカウンセラー 声は聴けないけれど

  Y小学校への勤務2年目。今回お話するLさんがY小学校に入学してきた。

Lさんは両親との3人家族の1人っ子で、同級生の中でも比較的背の高い女の子だった。

朝学校に登校してくる際、お母さんから離れられず、うまく言葉にも出来ないことが多く、少し学校も休みがちになりかけた1年生の終わりごろ、お母さんがスクールカウンセラーである自分に相談に来られた。

主訴としては『登校渋り』と『母子分離不安』で、Y小学校の養護教諭であるT先生からの紹介だった。

 Lさん自身とは保健室で数回会うことが出来たが、学校にいる際は初対面やあまり話したことがある人を前にすると固まってしまい、声を聞いたことはなかった。

お母さんは頻繁にカウンセリングを受けておられ、何が原因のなのだろうかということを、決して人のせいにせず、お母さんご自身の中に探されているようなお母さんだった。

お父さんも仕事のご都合で頻繁ではなかったがお話する機会もあり、とてもやさしさの溢れたお父さんだった。

 Lさんが2年生になる時、SCである自分が隣のH小学校へ異動となった。

まだ試験的な配置であることに変わりはなかったため、Y小学校にはSCが配置されておらず、Lさんのお母さんが仕事帰りや、それこそ昼休みの合間を縫ってカウンセリングに来られていた。

お母さんはいろいろな不安を口にされてはいたが、徐々にLさん自身との関わり方が安定してきたのもこの時期だったと思う。

 その後、保健室には頻繁に出入りしながら教室にも何とか行くという状況が続き、小学3年生の時にはアスペルガー症候群が診断された。

診断はご両親が医療機関に聞きに行かれ、Lさん自身には告知しない形が取られた。

SCである自分には、お母さん自身が頻繁に関わり方などを聞きに来られた。

またY小学校の先生ともカウンセリング後には毎回連携し、Lさんとの関わり方等をお伝えしていった。

養護教諭との別れと出会い

Lさんに転機が訪れたのが4年生になったときだった。

SCが異動でY小学校に復帰したが、Lさんにとって学校での良き理解者であったT先生が転勤され、K先生が赴任してこられた。

T先生とお別れするに当たり、さすがに泣いてしまったが、

Lさんの
お母さん
Lさんの お母さん

もしあのままT先生が保健室に居たら、L自身保健室から離れられなかった

と、前向きにとらえて話していたと、後日お母さんから伺った。

4年生から担任になられたN先生は、物事をはっきりいうタイプの先生で、気も回るのでLさんともお母さんとも上手く合っていたのが、本人自身のさまざまな成長につながった1年間であった。

N先生はSCとも一番頻繁に連携をとっておられた。

N先生自身が疑問に思うことやLさんとの関わり方、お母さんとお話する際の注意点等々、いろいろなことを吸収して、何よりもLさん自身が学校で過ごしやすい環境にしようということを考えられている先生だった。

その関わりに比例するかのように、Lさん自身、養護のK先生との関係を新たに構築しつつ、教室という場所にLさんがやっと居場所として定着していっているように感じられた。

そうしたCh(クライアント)自身の成長と周囲の理解や関わり方が出来上がってきた時期だったと思う。

 今回、Lさんとの関わりはじめの部分を書かせてもらったけれど、Lさんとの関わりは中3まで続き、高校に入ってからもお母さんからお話を伺ったりしてきた。

次回またその続きを書きたいと思う。

 



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たつとみ先生

いつもありがとうございます!

これまでの経験で小学校にこそスクールカウンセラーの配置が必要だと感じていた

と仰っています。この考え方は小学校教員としては大変ありがたいことです。

移住してくる外国籍のお子さんへの対応も課題ですね。

「日本語指導」という先生がおられると、定期的に個別にかかわるのでお子さんにとっても安心できる時間のはずです。

「チーム学校」の名の通り、SCさんを含めた学校全体で育ちを見守ることが大切ですね。

Ⅼさんは、保護者さんに理解があり、たつとみ先生が誠心誠意かかわってくださっていたので、彼女のペースで学校生活を送ることができたいい事例だと思いました。

頼りにしていた先生の異動は家族共々不安だったと思いますが、この保護者さんが前向きに捉えておられて、素晴らしいなと感じました。

.次回も楽しみにしています!

https://sensei.style/Japan/wp-content/uploads/2021/08/C7D8F7D4-C495-4939-8528-F0FC53808EBB.jpeg管理人からお願い

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たつとみ先生
たつとみ先生

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まだまだお話は続きます。

スクールカウンセラーとしてのご体験をご紹介できて

感謝です