スクールカウンセラー
素敵なせんせいをめざすあなたに
管理人が公認心理師をめざすにあたり、対策講座でお世話になった予備校で知り合ったたつとみ先生。
スクールカウンセラーとして活躍しているたつとみ先生に、スクールカウンセラーをめざす経緯や体験を連載していただけることになりました。
類似した事例に関わってはいますが、内容はフィクションです。
スクールカウンセラー になる前に
前回までの文章を書いてから、20数年‥。
また、自分のなりたかった職であるスクールカウンセラーになって17年。
今回、こうして瀬野先生と出会うことができて、元々続きを書こうと思っていたあの文章の続きを書く機会を与えて頂いたことをとても感謝しています。
あの文章を書いた経緯を少しお話すると、大学卒業後、大学院に行くことが出来ず、かといって心理職に就くことが出来ず、どうしようかと右往左往していたところにみつけた心理系専門学校。
就職率がとても良かったこともあり、また心理職としてすぐに働いていくことに不安のあった自分は、その専門学校へ行くことにしました。
そこで出会った心理カウンセラーの講義で講師をしていた山方恵美子先生という方とお話をしている中で、自分自身の半生を文章にしてみて、授業で話をしてみないかというお話を頂いた‥というのがきっかけです。
その後、その心理の専門学校は内部のゴタゴタで無くなってしまうのですが、元々専門学校に対して実践的な学習を望んでいた自分は物足りなさを感じてしまい、結局専門学校が無くなる前に辞めてしまい、就職口を探し、地元の精神病院にケースワーカーとして働き始めます。
今回はそこからのお話‥。
スクールカウンセラー はじめての就職 精神病院
元々スクールカウンセラーとして働いていくには、心理領域だけでなく、教育、福祉、医療、司法といった分野の知識が必要になってくると感じていた自分ではあった。
かといって学ぶよりも職を探さなければならず、どこか『心理相談』を仕事と出来ないかを探してはみたが、実際にはなかなかないというのが現実だった。
そんな中、話として出てきたのが精神病院でのケースワーカーとしての職業だった。大学が福祉系を出ていたということもあり、就職後に精神保健福祉士の資格を採るということを条件として就職することが出来た。
かといって、ケースワーカーの職務内容はほとんど未知の領域‥。
そんな中でその年5人入ったケースワーカーそれぞれに担当が決まった。自分の担当は援護寮、そして薬物アルコール病棟担当の兼任となった。
そもそも援護寮や病棟もどういった病棟があって何をどのようにするものなのかを自分は知らなかったので、それを学ぶところから始まった。
入院形態や生活保護の申請の仕方などなど、まさか実際にスクールカウンセラーになってからも役に立つ医療福祉現場の知識を学んでいるとはその時は全く思ってもいなかった。
薬物アルコール病棟の他、急性期病棟の患者さんと関わることもあった。関わる‥というよりは『見ていた』という方が正しいだろうか?
閉鎖された空間を、運動する時間と称して徘徊する人たち。他の新人の人たちがどうだったのかはわからないが、自分は恐怖を感じていた。
患者さんが飛び出したりしないかとかいうことではなく、この人たちが『自分と同じ人間なんだ』ということに、だ。
もしかしたら何かがあって、自分も目の前で徘徊する人たちと同じになるかもしれない。そう思うと恐怖を感じた。
それと同時に同じ人間なのだから、同じ人間であるように手助け出来ればとも考えていた。
カウンセラー 会話の大切さ
最初にいろいろ教えてくれる先輩には恵まれた。いろいろ遠回りして就職した自分と同い年の先輩だった。
病院というのは大勢の人たちの集まりで、その先輩のように個人的に関わりやすい人はいたけれど、自分が受けた印象は『馴染みにくい』環境だった。
いじめ経験のある自分からみて、割とすぐにグループ化した職員関係があり、気を抜いたら患者に出し抜かれる。舐められたらいけない。そんなギスギスとした空気が流れていた。
患者さんから武勇伝の様に聞いた話だが、それこそドラマかニュースで聞くような犯罪等々の内容が、さも当たり前のように出てくる人たちを相手にする訳だから、当然かもしれなかった。
そんな中、先輩の1人がこういっていた。「自分の身は自分で守れるようにしておきなさい」と。
しかし、自分はこの現場でどのように仕事をしていくかを考えた時、自分の中にあるものは自分自身の経験と多少なりとも大学で学んだ心理の知識しかない。
先の徘徊する人たちを思い出して、自分は自分の関わり方で、患者さんに対しても、まずは受け止めた上でお互い1人の人間同士として『会話』をして関わっていこうと決めた。
スクールカウンセラーとして飛び込む
最初、病棟の看護師さんや職員さんとの関係は二の次だった。正直患者さんに関わる以外余裕がなかった。
しかし、患者さんにそれなりに気に入られるようになってくると同時に看護師さんや職員さんにも認めてもらえるようになってきた。
今思えば、様々な要望を出してくる薬物アルコール病棟の患者さんの話を聞くことに疲れていた看護師さんや職員さんたちの中に、話を聞くケースワーカーが入ってきたのだから、結果として負担が減っていたからなのかもしれない。
しかしながら、人間関係というものは、うまくいっていれば、そうでもないところが出てくる。
精神病院には約3年間勤めたが、その間人事異動があり、作業療法士と共に働く時期があった。
病棟の患者さんと、自分が大学時代に行っていたワークショップのような事をするのを作業療法士さんを手伝うと称して自分の特技でもあるトランペットを活かして音楽療法的に自分が行ったこともあった。
割と評判良かったのが気に入らない人もいたのだろう。職員しか入れないところに自分の楽器を置いていたら壊されてしまったということもあった。
自分自身はやはり教育現場で働きたいと思い、その機会が巡ってきた時、元々薄給ではあったが、さらに下がるであろう給与面そっちのけで教育現場に飛び込んでいった。
今回は、スクールカウンセラーになる前段階のお話を伺いました。
「スクールカウンセラーとして働いていくには、心理領域だけでなく、教育、福祉、医療、司法といった分野の知識が必要になってくると感じていた…精神病院でのケースワーカーとしての職業に就いた」
スクールカウンセラーという将来のために、未知の分野に飛び込まれた先見性や行動力に頭が下がります。
病院では「自分も目の前で徘徊する人たちと同じになるかもしれない」という恐怖も味わわれたんですね。
また、職員に大切な楽器を壊されてしまい
傷ついたトランペットを目の前にして、たつとみ先生は身を切られる思いだったはず。
(管理人も吹奏楽部出身なので、もし楽器をイタヅラされたらかなりの痛手…トランペット吹きの娘にこの話をしたら涙してました)
…
「割と評判良かったのが気に入らない人もいたのだろう」と分析されていた冷静さや寛大さは、カウンセラーたる所以でしょう。
…
「教育現場で働きたいと思い、その機会が巡ってきた時、給与面そっちのけで教育現場に飛び込んでいった…」
やりたい仕事が巡ってきたとき、そんな気持ちで飛び込みますね!
管理人も、長年の夢の幼稚園の仕事が来たとき、憧れの小学校の仕事が来たとき、どちらも給与面はそっちのけで契約していました(笑)
本当にやりたい仕事に就くと、スタートは薄給でも一生懸命に目の前の仕事に取り組むので、気が付いたら潤ってくるものなのかもしれません。
教育現場に飛び込んだたつとみ先生…どんな展開が待っているのでしょうか。
たつとみ先生の希望で、連載記事の感想をいただけたらありがたいです
たつとみ先生に届きますので、温かいメッセージを下の参考リンクをタップしてGoogle foamから✨ ⇩
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スクールカウンセラーのいきさつを紹介できて
感謝です