\社会人から先生になりたい・先生の次のステージをめざしたい 教員×公認心理師がセカンドキャリアを応援/

市町費講師→県費の講師にランクアップ

筆者 48歳

朗報

「おめでとうございます!」

いつものように印刷室で授業のプリントを刷っていると、にこにこして同僚の先生が温かいコーヒーを差し出してくださった。

「コーヒーありがとうございます、

…え?でも何のことでした?」

「聞いてなかったですか?先に言っちゃった(笑)

この前、先生が帰った後、教頭先生から

「〇〇先生が県費の教員に承認されました!」って発表があって、

職員室で拍手が起きてましたよ」

前任の校長先生や教頭先生たちが、県採用の先生にと推してくださっていたのだ。

市町村採用の教員は、週に何時間か他クラスに入って授業をしたり、児童のフォローに入ったりすることがメインで、給与も高くはない。

県採用の教員は学級担任をもつことも多く、正規の教員と変わらない職務が要求される。

県費の教員になったという当の本人への報告を、校長先生は忘れておられたようだ(笑)

「前の学校でも、なかなか市費や町費の講師からなれない先生がいるんですよ。1年で県費の先生になるってすごいことなんですよ。」

そんな諸事情も知らない筆者。

幼稚園の教員から小学校の世界に飛び込んで、

学校のシステムも分からず、授業のやり方から手探りだった。

毎日が必死で、1日があっという間に過ぎていく。教材準備をしていると、外は暗くなっている。

拍手をしてくださっていたという職員室の雰囲気も、周囲に歓迎されているようでありがたかった。

その放課後、音楽室へ翌日の授業準備をしに向かった。

いつか役に立つだろうと自宅で練習していた校歌を、グランドピアノで奏でる。

ひと夏、自宅の電子ピアノで弾き込んだ校歌は、指が鍵盤の場所を覚えていた。

冬の優しい夕焼けの光は、音楽室の奥深くまで差し込む。

淡いオレンジのあかりにピアノが照らされて、鳴り響く旋律が心地いい。

エンドレスで曲を弾きながら、

「卒業した小学校とはまた別に、自分の第二の母校になっていくんだろうな」

ぼんやり思いを馳せていた。

これまでの長い長い道のりが駆け巡る。

せんせいになるのを反対されたこと、3人の子どもを育てていろんな教員免許をとってきたこと、今までの職場の楽しかったこと辛かったこと…

…がんばってよかった。

「キレイなメロディーが聞こえてきましたね」

施錠の見回りに来られた教頭先生の優しい声がした。

「あっ、ピアノをお借りしてます。

県費に推してくださってありがとうございました。

職員室で拍手が起きたって聞いて、本当にうれしかったです。

これからまた頑張ります!」

「みんな先生の働きを見てるんですよ。

音楽集会の前には、毎朝早く来て体育館のピアノで練習したり、

ここで助けて欲しいな〜と先生たちが思ってるところに、いつもサッと来てくれたり、本当にみんな助かってるんです。

期待してますよ。頑張ってね」

拭った涙がまたあふれそうになった。

この春、市町村採用の教員から、県採用の教員になり、

専科というポジションになった。

市費・町費講師県費講師
授業数6〜1013→28
給与18万円程度29万円程度
賞与なし1回目17万円→
以降56万円程度

図工、音楽の他に、新たに書写も担当することになった。

市町費の講師と比べて年収も2倍になり、

年次休暇も2倍、わが子の行事のために特別休暇がある、など福利厚生も充実した。

授業数は倍以上に増えたが、

大好きな音楽や図工を教えるのは楽しい。

いろんなクラスに行けて、

子どもたちの顔を覚えて接することができるのもうれしい。

満足しているけれど

好きなことを仕事に還元できて、

かつて専業主婦で、履歴書の免許・資格欄には運転免許証くらいしか書くことがなかった自分に、

十分すぎるほどお給料をいただけて、

本当に満足している。

正規の職員なら、身分の保証はある。小学校が異動になっても県内の学校で勤務を続けられる。

人不足の学校現場だから、臨時教員でもすぐ採用はあるだろうが、立場は弱い。

校長先生の言葉がリフレインする。

「次のステップ」

今の待遇に満足していたけれど、

強みになるものを、さらに身に付けていこう。