筆者39歳
ビニールプールの前で
当時の保育士試験は年一回、8月上旬の土日の2日間だった。
保育園児や学童を利用しているなら夏休みも預かってもらえるが、わが子たちは世間同様、7月25日辺りから夏休みに入った。
勉強を追い込みたい時期と、子ども達が連日自宅にいる時期が重なった。
夏休みの朝から
朝起きると、カーポートのある車庫に置いたビニールプールに水を張る。
洗濯機を回し、朝食の用意を済ませ、子ども達の水着の準備をする。
車庫に面した和室は大きな掃き出し窓があり、座卓を置いて座ると、子ども達の遊んでいる姿が正面に見えた。
子ども達の黄色い声をBGMに、テキストを平積みにして、ノートに幾度となく走り書きした。
ボールペンのインクが何度も切れ、家じゅうのボールペンがゴミ箱に捨てられていく。きりがないので鉛筆に換えると、右手の小指はノートに書いた鉛筆の芯で擦れて真っ黒になった。
机の隣では、長男が夏休みの宿題を解いている。
夏休みの昼下がりも
11時半になると勉強を中断して昼食の用意にかかった。子ども達の体を拭いて、昼食を摂る。
お腹が落ち着いた頃にまたプールに戻る。
時折、近所の子も呼んでは、午後からのプール遊びが始まった。
建て売りで購入した家は、幸い地下からの井戸水が使え、水は潤沢にあった。
「水道代がもったいないから、もう止めなさい」とも言わず、水鉄砲だろうがシャワーの掛け合いだろうが、気にせずに水遊びさせられた。
昼寝したい
子どもが眠くなる時間は、こちらも睡魔が襲う。意に反して軽く午睡してしまったこともたびたびある。
夕飯の支度をして食事を摂り、入浴をして寝かせた後、また机の前に座った。
生協の商品を多めに注文して宅配してもらい、買い物の時間を減らした。
日常の家事や食事以外は、ほぼ座卓の前にいて、裏紙に計算をしたり、用語の説明を書きなぐっていた。
ワーカーズ・ハイ
8月に入ると、ペンを持つ右手の震えが止まらなくなった。
日頃からペンを持つ学生なら、急に腕を動かす時間が増えても、ここまではならないだろう。いかに、書く作業から離れていたかということだ。
軽い腱鞘炎だと、整形外科の診断が出た。
しかし、休んではいられない。書く作業は減らし、重要単語がまとまった冊子を中心に、用語や説明を暗記することに徹した。
午前3時間、午後3時間、夜3時間。
この年齢になって、こんなに勉強する機会が来るとは思わなかった。
睡魔や右手の痛みと戦って、すごく苦しいはずなのに、目標に向かって進んでいる感覚がなぜか心地よく、懐かしかった。遠い日の受験生のようだった。
27歳で長男を出産、その後長く子育てに従事し、何かをやり遂げたり、努力の結果が形で表れたりすることから離れていた。新鮮だった。
このときの有意義な体験があるから、次のステップへどんどん進むことにためらいがなかった。
協力してくれていた家族に、
改めて感謝である。
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