先生になりたい
素敵なせんせいをめざすあなたへ
先生になりたい 両親の反対
筆者17歳ー25歳
「先生の免許取ったって、
先生になんかなれないよ!!
やめておきなさい!」
母に一蹴されたのは、
進路相談を控えた高校2年生の秋。
幼稚園の先生をしていた知り合いの家に
「相談に行ってみたい」と母に申し出たが、
「あー、おそろしい」と全力で反対された。
…
父に話してみても、娘の進路に興味はなく
「女が学を積まなくてもいい」と、
取り合ってもらえなかったのだ。
両親ともに忙しく、
親身に相談できるような環境ではなかった。
今思えば、跡継ぎである弟に、多くの
大学資金を残しておきたかったのであろう。
教員に代わる目標も浮かばないまま普通に進学。
幼稚園の担任だったF先生に憧れて
「ピアノを弾きながら、
子どもたちと歌えたら楽しいだろうな…」と
ほのかに描いていた「せんせいになる夢」は
あえなく崩れ去った。
先生になりたい 進路の葛藤
大学卒業を控えた夏。
着なれない黒のスーツで電車に揺られ、
ビル街をまわっていた。
高校2年生で経験した見えない壁に
再度ぶつかり、もがいていた。
「本当は何がやりたかったんだろ..」
…
地元の金融機関に何とか拾ってもらった。
両親は大いに喜んだ。
勤務はハードで毎晩帰りも遅く、
精神的にも大変だった。
「何でここで働いているんだ…
もっと他にできることがあったんじゃないか…。」
そして気がついた。
両親の喜ぶ顔が見たくて、
喜んでくれるような職に就いたんだと。
愛されたいと願う、気の小さい娘の
滑稽な選択だった。
密室育児
筆者33歳
結婚し、退職。二男一女に恵まれた。
幼子三人との生活は、育児と家事に追われ、
曜日の感覚も分からず、
毎日が目まぐるしく過ぎて行く。
実母には「仕事が休めないから、
簡単に連絡して来ないで」とくぎを刺され、
手助けを頼めなかった。
会話もまだおぼつかない2歳児と
産まれたばかりの乳児、新米母親のわたし。
末っ子は冬生まれ。
時おり雪も散らつく寒空の下へ、
赤ちゃんを連れだして散歩することは
ままならない。
昼間は3人で自宅にこもりきりになった。
未就園児2人がいて、
子どもそれぞれの要求にこたえねばならず、
家事も思うようにはかどらない。
畳みきれない洗濯物の山ができた。
夫も「この洗濯物の山はいつなくなるんだ?」
と笑って、
崩れそうな山から服を引っ張り出していた。
「密室育児とはこのことか…」と
息詰まっていた。
夫は帰宅が遅かったので、
小学校に上がったばかりの長男の帰りが
日々待ち遠しかった。
会話らしい会話ができるとホッとしたものだ。
先生になりたい 地域への恩返し
筆者33歳ー36歳
育児疲れで気持ちがめいっている頃、
近所の民生委員の方が
最近赤ちゃんが産まれたんだって?
と、訪ねて来てくださった。
社会から隔離されたような生活を送っていたので、
子育てしているわたしたちも、
地域で見守られているんだ!
と、本当にうれしかったのを覚えている。
当時、地域で始まりつつあった子育て支援。
元教育関係者や、子育て経験のある女性たちが
主催する活動に、子どもたちを連れて
顔を出すようになった。
同様に子育てをする顔なじみのママ友もでき、
子ども同士を遊ばせたり、
育児の悩みを共有したりした。
社会とつながっていることを実感できて、
じぶんらしさを取り戻していったように思う。
知り合ったママ友から育児サークルを引き継ぎ、
活動の輪を広げていく。
「母親になったわたし」や
わが子たちを育ててくれた地域に、
恩返しがしたくなった。
やっぱりせんせいになって、
子どもたちやお母さんの手助けをしたいな‥