「先生になりたい人」と「次の道を探す先生」を支えるプロジェクト|センセースタイル

通信で教員免許をとったリアルvol.1-47歳、教育実習から始まった教員人生 ―

通信で教員免許

47歳で立った教室。
ここから、第二の人生が始まりました。

※noteで呼びかけて寄稿してくださった記事を、ご本人の了解を得てHPに転載しています。

現在、私立高校で教壇に立つ ‐もりそばさん。
高校一種免許(地理歴史・商業・公民・情報)を
取得し、特別支援の学びも重ね、夜間定時制での
経験も積んでこられました。

今回、noteでの呼びかけに応えて
寄稿してくださいました。

19歳のアルバイトから始まった「教える喜び」が、長い年月を経て教壇へとつながった歩みです。


19歳、スイミングスクールで出会った「教える喜び」

私が「教える」という仕事の
素晴らしさを知ったのは、19歳のときでした。
専門学校生だった私は、スイミングスクールで
アルバイト講師をしていました。

子どもたちができなかったことを
できるようになる瞬間。
その笑顔を目の前で見られる喜び。

「ああ、教えるってこんなに尊い仕事なんだ」

それが、すべての始まりでした。
就職を考える時期になり、教員という道も
頭をよぎりました。
しかし当時はバブル期の終わり。
教員採用試験は倍率100倍が当たり前の時代。

大学に入り直すよりも、
まずは一般企業に就職しようと決めました。


就職、リストラ、
そしてリーマンショック

21歳で、リストラ。
小さい会社でしたから体力がない。

悪夢でした。 身も心もボロボロ。
ここからいわゆる“ロスジェネ”人生が始まります。

紆余曲折を経て、親の紹介で別の会社へ。
そこでは24年間働きました。
ところが――30代後半、再び悪夢。
リーマンショックです。

社内で希望退職が始まりました。
そのとき、ふと思ったのです。

「やっぱり、教職に就きたい」

私の学生時代にはなかった「情報」という教科。
母校の系列に大学ができ、通信課程で免許を
取らないかと誘われていたことも思い出しました。

これは転機かもしれない。
そう感じ、私は舵を切りました。


H大の通信課程での挑戦

社会人にとって最大の敵は「時間」。
ここが、私の勉強部屋でした。

通信課程での学びは、
決して楽ではありませんでした。

最初は何をどうすればいいのかわからず、
大学に何度も問い合わせました。
レポートを書き、試験に合格して、
ようやく2単位。

社会人にとって最大の敵は「時間」です。
私はネットカフェを勉強部屋にしました。
静かなブースでレポートを書き続ける日々。

スクーリングでは、金・土・日と
みっちり授業を受け、2単位取得。
自分が“教わる側”になる機会は久しぶりで、
純粋に楽しかったのを覚えています。

少しずつ、少しずつ。
単位が積み上がっていきました。


教育実習という大きな壁

やがて、教育実習を残すのみとなりました。
出身高校にお願いし、会社に直訴しました。
しかし返ってきた言葉は――

「ふざけるな」

旧態依然としたブラック企業でした。
悩みに悩みましたが、生活もあります。
教育実習は、いったん見送る決断をしました。


単位を取りきるという意地

ここからが、私の“意地”です。
教育実習以外の単位をすべて取りきる。
情報だけでなく、商業の単位も取りきる。

大学から言われました。
「免許を申請せず、ここまで単位を取りきった人は全国であなたしかいない」

さらに別の通信大学にも入り、
地理歴史・公民の単位も取得。

会社では、まったく畑違いの物流部門へ異動。
スポ根のような研修にも行かされました。

これは辞めさせるための嫌がらせだな――
そう判断し、退職を決意しました。

47歳、教育実習の朝。

Tアカデミーで教採準備、
そして47歳の教育実習

退職後、教職への道は一気に加速します。
Tアカデミーで教員採用試験対策。
そして、ついに教育実習へ。

出身校にお願いしました。
47歳での教育実習は「新記録」だったそうです。

その年、さらに4単位追加。
特別支援教育論、総合的な探究の時間。

そして―― ついに免許申請。
私は4教科の教員免許を取得しました。


M高校からの一本の電話

講師登録を行ってすぐに市立M高校から電話が
あり、そこから教員生活が始まったのです。

以上甚だ簡単ながら、このような次第です。


振り返って思うこと

19歳のスイミングスクールから始まった
「教える喜び」。
バブル崩壊によるリストラも、ブラック企業も、
リーマンショックもありました。
遠回りどころか、回り道だらけの人生です。

それでも。
「ふざけるな」とのたまった上司は
わたしの人生に責任なんて持ってくれません 。
責任とれるのは自分だけです。
そして19の時、あのとき感じた「教える喜び」は、 ずっと消えませんでした。

47歳で教育実習に立った教室で、
私は確信しました。

やっぱり、私は教えることが好きなんだ。
人生は、遅すぎることなんてない。
遠回りも、きっと意味がある。

これからも、私は教壇に立ち続けます。

それでも、教えることが好きでした。

それでも、教えることが好きでした。

管理人より

貴重な体験の寄稿、ありがとうございます。

社会の波に翻弄されながらも、「教える喜び」を
手放さなかった歩みは、これから教職をめざす方にとって大きな勇気になるはずです。

センセースタイルでは、通信で教員免許をめざす方や、働きながら学ぶ先生方の声をこれからも大切に紹介していきます。

私も通信制大学で教員免許を取得し、
現在も発信を続けています。
遠回りでも学び直しはできる。
その実感があるからこそ、同じ道を歩く方の声を
届けたいと思っています。


寄稿してくださった、
-もりそばさんのnote記事はこちら

こうした実体験の言葉が、
誰かの背中をそっと押してくれると信じています。

もし通信で教員免許をとった方がおられたら、
今、挑戦中の方がおられたら、
寄稿していただけたらうれしいです。
きっと誰かの灯りになります。

記事の募集はこちら↓