母校の教壇に立つ
素敵なせんせいをめざすあなたに
母校の教壇に立つ 通信制大学で
高校地歴教員として母校の教壇に立つY先生。
かつて筆者が小学校教員をめざして通信制大学で学び始めた頃、彼もまた教員をめざして
おびただしい数のレポートと試験を繰り返して単位を修得されているところだった。
母校の教壇に立つ 教員への転職
そんなY先生が高校教員になられて早4年目。
企業から教育現場へ転職された経緯を綴った手記をいただけることになった。
教員への転職を考えておられる方にはきっと後押しになることと思う。
母校の教壇に立つ 企業から教育現場へ
「企業から転職をして、教師になりました。」
そんな自己紹介をすることが増えました。
初対面の方からは、なぜ企業を辞めたのか?
なぜ教師になったのか?
そんな事を聞いて頂く機会が多くありました。
そんな時、どんな風に答えているかというと、大きく以下の二つをお話しています。
理由①:もともと教育に関わる仕事がしたかった。
理由②:企業人(営業職)として、その先20〜30年続けていくイメージがもてなかった。
人生初めてのキャンプ
それぞれ詳しく説明すると、
まず理由①の方は、
大学時代に野外活動のボランティアをしていた事が大きく影響しています。
主に小学生とキャンプをする、いわゆるキャンプのお兄さんお姉さんをしていました。
私の所属していた団体は、障がいをもった子ども達とのキャンプも主催しており、
人生で初めて参加したキャンプで出会った自閉症の小学生と一対一で過ごした二泊三日が、僕の人生を変えたといっても過言ではありません。
自閉症が何かも良く分からないひとりの大学生が、正に体当たりで過ごす経験でした。
それまでの私は、自己開示が下手くそで、積極的に他人とコミュニケーションがとれない性格でした。
受容してくれる仲間
しかし、キャンプを通じて、他者を受け入れる自分に気がつき、
そんな自分を受容してくれる仲間と出会ったことが、自分の中で何かを変化させ、
人間的な成長をもたらしてくれたと感じています。
原体験
無事にキャンプを終え、その子とお別れをする時、お迎えに来たお母さんの涙を見たとき、
子どもという存在が親にとってどんなものなのかを学ばせてもらった気がします。
実は、キャンプ前の家庭訪問では、お母さんは冗談で
「たまにこの子がいなくなればいいと思うことがある…」
と漏らされていたのです。
…
しかし、安堵の涙で我が子を迎える母の姿と、
キラキラとしたその子の笑顔、
そして、自分自身の何かが成長した感覚、
色んな思いが混じり合った、目の前の情景に心からの感動を覚えたのです。
今でもこの時のことは鮮明に記憶しています。
この原体験がなければ、教育の道には進んでいなかったと言い切れます。
お読みいただいてありがとうございます。
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このサイトは
これから教員免許をめざす方への参考になればと
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読んでくださった記事は、
教員免許をとって
高校地歴教員に転職されたY先生に、
「せんせいをめざす方の励みになれば」と
お願いしたものです。
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もし、通信制大学などで教員免許を取得して
新たな道を歩んでいる方がおられたら、
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これから教員免許取得をめざす方への
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どうぞよろしくお願いいたします。
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